保守主義の英知

 保守は必ず、革新に遅れて登場する。理性があればどこまでもいけると考えてしまう人間の傲慢さにブレーキをかけてくれる。日本を代表する政治学者の宇野重規は『保守主義とは何か』(中公新書)を通して、英国、米国、日本を中心に保守主義の思想を取り巻く歴史の決算書を書き上げた。今日、政治用語として当たり前のように流通している「保守主義」だが、その内実を明瞭に定義することは容易ではない。保守とリベラルという対立軸も、冷戦構図の崩壊などを受け、日毎に不透明になっている。我々は何を保ち、守りたいのか。保守する(conserve)とはどういうことなのか。

 保守主義の原点は、18世紀の政治家、思想家であるエドマンド・バークに遡る。アイルランドに生まれ、英国(グレート・ブリテン王国)の下院議員として活躍したバークは、政治的な自由の実現を重んじ、アメリカ独立問題においても植民地側の理路を重視し、アイルランドでは差別されたカトリックの権利擁護に尽力した。然し、1789年にフランス革命が起こった折、自由の闘士であったはずのバークはその革命を批難することになる。革命が始まって間もない頃、『フランス革命についての省察』(1790)を刊行したのである。バークは、別けてもフランス革命において表面化した人間の理性に対する過信に違和感を覚え、その後の悪夢的開展を予言していた。事実、フランス革命は終盤、ジャコバン派による恐怖政治、ナポレオンの独裁を惹起し、内部崩壊を繰り返していく。革命(revolution)によって歴史的な断絶を企て、全てを更地にしてしまう願望(reset)は、人間が歴史的に蓄積してきた必ずしも理知的な判断に回収されない、場合によっては情緒的、感情的ともとれる叡智を水泡に帰してしまう。保守主義は過去の遺産を無に帰することではなく、何らかの変動が起きたとき、英国で言えば、すでに名誉革命によって獲得された英国国制(British Constitution)という具体的な制度とその理念を保ち、守りつつも変革の必要な部分には手を加えるという作業であった。フランス革命の志士たちの性急さ、歴史的連続性を軽んじる姿勢にバークは失望した。今を生きる人間の理性には限界があることを素直に認め、過去そして未来という時間軸を注入する。この謙虚さが保守主義(Conservatism)の源流であり、保ち守りつつ変えていく姿勢である。留意すべきは、バークは保守的な態度、姿勢を重視したが、同時に保守すべき具体的な制度(institution)や組織(association)を想定していたことであり、それらを抜きに単なる姿勢として保守主義を定義づけることはできない。

 保守主義はいつも先行する思想に後続するかたちで登場してきた。常に後から来た思想であり、ブレーキの姿勢である。歴史的に大別すると、18世紀後半の「フランス革命」、20世紀前半からの「社会主義」、20世紀後半から21世紀に至るまでの「大きな政府」に対抗してきた。バークがフランス革命に対峙したのち、20世紀の前葉、社会主義への対立項として保守主義が再起していく。発端はやはり英国。保守主義の理念型は常に英国と共にあった。興を唆るのは、この時代の英国における保守的思潮の萌芽は曽てのような政界からではなく、一介の文人たちから湧出したことである。

 詩人のT・S・エリオットや作家のG・K・チェスタトンが暗躍した。エリオットは文化的創造のために「伝統」が欠かせないものであり、文人は誰しもホメロス以来の文学的伝統の中にいることを再確認すべきだと説く。新しいものは古いものを踏まえてこそ新しい。ブラウン神父シリーズで知られるチェスタトンは『正統とは何か』(1908)などにおいて伝統、あるいは正統(orthodoxy)に言及した。チェスタトンは当時隆盛していた理性だけに依拠する唯物論的世界観やその欺瞞に対し、超越的な神の理解や超俗的概念の必要を説き、理性の濫用に警鐘を鳴らす。現世だけを信じているものは、現世さえ正しく理解することができない。これらの英国保守主義の態度は、後に共通感覚(common sense)の尊重というかたちをとっていく。

 このような潮流も交え、オーストリア出身の経済学者フリードリヒ・ハイエクは社会主義に対抗した。師匠筋のルートヴィヒ・フォン・ミーゼスから受け継がれた社会主義計算論争(社会主義における計画経済のもとで果たして効率的な資源配分が可能かを問う論争)を受け、ハイエクは終始「集産主義(collectivism)」に異を唱えた。ナチス・ドイツの全体主義からも窺えたこの集産主義の傾向は予想外の広がりを見せ、社会主義や周辺の知識人に容赦なく膾炙していた。ハイエクは『隷属への道』から『自由の条件』に至るまで、一貫して自生的なもの(spontaneous)に重きを置き、立憲主義による知の有限性への抵抗、人倫としての自由主義を訴えた。

 同時代、イギリスの政治学者マイケル・オークショットも「人類の会話」を提案し、合理主義者を批判した。人間の理性は往々にして唯一絶対の正解を求める。オークショットは、政治をそのような正解を前提とした問題解決の場として捉える「技術知」の視点ではなく、政治教育などを通じて育まれるべき「実践知」を要求した。会話の目的は何らかの結論を得ることではない。決して一つの声に収斂しない、永続的な会話のための知を求めた。保守主義には常に知の有限性の自覚、レガシーへの敬意があった。

 20世紀も後半に入り、大西洋を隔てた米国では、現代にまでつながる「保守革命」が胎動していた。米国における保守主義は本場の英国とは毛色が異なる。米国には、ヨーロッパが持つ近代以前の伝統的な貴族制や王政の歴史ではなく、ジョン・ロックに始まる所有権を前提とした自由主義の伝統とキリスト教を中心とする宗教の信仰がある。そのうえで、黎明期にはリチャード・ウィーバー、ラッセル・カークなどの論客が頭角を表した。ウィーバーは『理念は実現する(Ideas Have Consequences)』(1948)で、ウィリアム・オッカムの剃刀に始まる人間中心主義(唯名論)的な視点を退け、絶対的な神を精神に必要な「重し」とする。カークの『保守主義の精神(The Conservative Mind)』(1953)は現代米国保守主義のバイブルと名指され、保守主義の6つのカノン(規範)を提示するのだが、ここでも、米国的な経済的自由主義とキリスト教信仰が特筆され、米国保守主義の独自性が姿を表す。

 その後、米国の保守にはリバタリアニズムが合流する。リバタリアニズムは、リベラリズムの原義が大きな政府に回収された後に登場した。その旗手として、ミルトン・フリードマンが経済的リタバリアニズムを唱導し、ロバート・ノージックが倫理的リバタリアニズムを高唱した。彼らは全面的に大きな政府に対抗していった。

 加えて、ジョージ・W・ブッシュ政権時代にイラク戦争を主導したことで知られるネオコン=新保守主義(New Conservatism)が登場し、米国の保守主義は一層と複雑化していく。アーヴィング・クリストル、ノーマン・ポドレッツなどが各自で雑誌を創刊してそのキーマンとなり、独自の国際介入主義、道徳的理念の実現を目指す外交的リアリズムを志向した。とはいえ、ネオコンの出発点がそもそも共産主義やリベラリズムへの幻滅から幕を開けており、どちらかというと専門家集団による実務的な政治運営に関心を示す人々であった。特定の政治的イデオロギーには収斂しない場合も多い。一時は強大な影響力を持った集団だったが、イラク戦争時にネオコン内部での分裂も生じており、今日はいささか孤立主義の色を強めている。

 そのネオコンの盛衰と時を同じくして、1960年代後半以降、米国が曲がりなりにも固守してきた自由主義を基調とする中道、あるいはニューディール政策に代表されるリベラルな政策へのコンセンサスが、保守の合流などによって揺動し始めた。1980年にはロナルド・レーガン大統領が当選し、保守革命が実現。ネオコンに限らず、60年代以降、米国では従前の政治的対立軸であった「大きな政府」と「小さな政府」が自明でなくなり、キリスト教保守派の勢力を軸に、人工妊娠中絶や同性愛などの倫理問題が絡み合い、複雑化していく。米国の保守主義には経済的自由主義や反政府的意識、宗教信仰の基盤があり、国際的な争論において欠かせない位置を占める。

 さて、日本には保守主義があったとも言えるし、なかったとも言える。丸山眞男や福田恒存は、状況適応にあくせくした日本の政治に元来の意味での保守主義を見出すことは困難だと言い放つ。然し、法制史家の瀧井一博によれば、明治期の伊藤博文は従来の実務家的なイメージとは裏腹に木戸孝允の勧めなどを受けてローマを訪れ、バークがいう意味での保守主義が要請する制度的な枠組みを模索していたという。その後の明治憲法の功罪を脇に置けば、伊藤の目指したものに日本的保守主義の兆しが見えるのかもしれない。その後、伊藤の幕僚となった陸奥宗光や、戦後は吉田茂によっても保守というものが捉え直されてきた。但し、その後の展開としての55年体制、保守合同と同時に生まれた政党を筆頭に「何を保守するのか」についての十全な攻究が行われていたとは言えないであろう。冷戦構図が崩壊した今日、反共と経済成長に支えられた”日本的保守”の向かう先はどこにあるのか。宇野は敗戦と占領という忘れられない経験を踏まえ、戦後日本が育んでしまった「状況主義的保守(価値コミットメントのないとりあえずの保守)」、そして、押しつけ憲法と揶揄し、現在の秩序を否定する「保守ならざる保守」への分極化を憂う。

 宇野は本書で、保守の驕りや迷走が見られる現代の政治状況を受け、保守主義自体を保守しているように思えてならない。保守の保守が必要になること自体、政治的に不透明な現代を象徴している。そのような物悲しさは否めないが、本書は保守主義について一旦の通時的な整理を行ううえではもってこいである。宇野は本書の終章で、国家大の保守だけでなく、まずは自分たちが一個人として手元を見つめ直し、身近にあって保ち守るべきものを見つけていくことの大切さを確認している。それが我々にとっての家族なのか、はたまた地元や地域なのか。バークの示す保守主義の「形式」と「内容」を踏まえ、今を生きる私たちにできることは何だろうか。

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